2011/03/25

大震災から2週間

この度の東北地方太平洋沖地震により、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。


被災当初は仙台市若林区の津波被害が大々的に報道されたため、当社も多くの方々からご心配の声を頂きました。あいにく事務所のある沖野は津波の被害から免れたため、家屋も無事ですし、家族一同無事でおります。
その後はライフラインも比較的早めに復旧し、食料調達や燃料調達に追われる毎日でした。

以前の記事でも触れたことがありますが、私の実家は石巻の雄勝という海岸地域で、やはり今回の大津波によって家から工場から何もかも流されてしまいました。雄勝は小さな町なので町自体が消滅したと言った方が良いでしょう。両親や兄家族は無事でしたが、伯母や親類がいまだ数人行方不明という状態です。


「千年に一度の大津波」


と大学教授が話しておりました。まさか自分が生きているこの瞬間に千年に一度の災害に遭遇するとは誰が想像できたでしょう?ノストラダムスやマヤ暦の占いなどどうでもいい。何故誰もこの大災害を予言してくれなかったのでしょう?


誰にもぶつけようのないこの無念


過去の教訓から得たはずの防災手段はなす術も無く、ただただ波にのまれてしまいました。


あれから2週間


書きたいことはたくさんあります。しかし全てうまく自分の中で消化しきれず、いつも文章に出来ず終わってしまっていました。
被災地での復興作業、原発事故による放射能被害、被災した人々の今後の人生・・・
宮城に暮らす全ての人々の肩に、多かれ少なかれのしかかっています。
「前に足を踏み出さなければ」と奮い立たせてみるものの、深刻な燃料不足により今はまだ何も出来ないのがもどかしくてなりません。


これまでに外構工事をして頂いたお客様からもコンクリートやブロックの割れ等の相談が寄せられていますが、私を含め、職人や材料を扱う業者も今はまだ身動きが取れずご迷惑をお掛けしております。誠に申し訳ございません。


出来るだけ早く体制を整え対応に当たりたいと思っております。
何卒よろしくお願い致します。






↑実家の位置から硯上山をのぞむ

↑工場のあった位置から海岸方向をのぞむ。テレビで何度か放送された公民館の上にバスが乗っている状況が見て分かります。


↑地区の避難所を兼ねて高台に建設された今春オープン予定の保育園が、屋根まで瓦礫をかぶり壊滅状態に。

↑そしてその根元で発見された実家のトラック。無残な姿にガンダムの最終回を思い出しました。



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