2011/05/16

お詫び・大震災その後

皆様、お久しぶりでございます。A鈴木です。
暫く、ブログに触れておりませんでした。
その間、当ブログへご訪問くださいました方へ、心よりお詫び申し上げます。



この度の東日本大震災により、犠牲となった方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、
被災された皆様には、心よりお見舞い申し上げます。

あの忌まわしい日から、2ヶ月が過ぎました。
ご無事の皆様、日常生活のほうは、取り戻しつつありますでしょうか。

震災後のガソリン不足等により、お客様の被害状況を確認したくとも、
お伺いすることがなかなか困難な状況でしたが、
その後は出来る限りの訪問をさせていただいておりました。
ですが、まだお伺いできていないお客様も正直いらっしゃいます。
大変申し訳なく思っております。
今後も、早急に対応していく所存です。何卒ご理解の程、お願い申し上げます。



前回の記事に代表が書きましたが、代表の故郷である石巻市雄勝町は、
この度の震災による津波の被害で、街が消えました。
私は、夫である代表と、長男と一緒に、4月下旬にはじめて雄勝町を訪れました。

報道等で、心構えはあったものの…
何も無い街。
あるのは瓦礫の山と汚泥。
目の当たりにするのは、嫁の私でさえ、辛い…惨憺たる光景なのでした。

下の3枚の写真は、震災から44日後(4/24)の雄勝町です。



震災前は、海と山に囲まれたのどかな街でした。
津波は一瞬にして、大切なものを奪っていきました。
現在も、親族には行方不明者がおります。ですが…

雄勝町役場は、役場の元建物の前方にプレハブを建て、
命の助かった町民のために、機能していました。
役場の建物を背に写したものが、上の写真です。
家の屋根の上に、また別の家の屋根が、折り重なって乗っています。

写真中央の、赤い車のあるあたりが、代表の実家があった場所です。
父も母も、ここに立ち、私たちに状況の説明をしてくれました。
驚くほど気丈に、家の跡を眺めながら、話をしてくれました。


石巻市の高台にある伯母宅へ非難している両親はこの日、
り災証明を受け取るため、雄勝町に来ていました。
暫くの時間両親と同行して、自分の家がないとはどういうことなのか、
言葉にしなくても、肌で感じたような気がします。

ですが、両親からは、復興への意気込みがひしひしと伝わってきて、
その気持ちを感じながら帰宅した私は、ようやく前進する気持ちになれました。

両親を励ますために、被災地に出向いた私は、
反対に励まされて、元気をもらってきました。両親の底力と器の大きさを感じました。

さあ、春だし!やっと、やっと。はりきって仕事できます!



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